武井先生ありがとうございました。お安らかに…。

美恵先生

2019年02月11日 18:38

1/22(火)、武井先生がお亡くなりになりました…。


1/19(土)、突然倒れられ、
そのまま帰らぬ人となってしまいました…。

前日の1/18(金)には、
普通に授業をされていたのに…。
…信じられませんでした。

亡くなられて20日が経ち、
やっと気持ちも落ち着きましたので、
遅ればせながらブログに書くことにしました。
これを書かないことには、先に進めないような気がして…。


武井先生は、ウエジョビに平成3年9月から、
27年と4か月お勤めいただきました。
私が平成2年4月から勤務でしたので、
本当に長いこと一緒にいました。

↑平成5年頃の武井先生と私の写真です。

今のウエジョビからは想像もつかないかもしれませんが、
実はウエジョビでも
学生が激減した時期がありました。

もう20年以上前になりますが、経営も大変で、
先生たちが何人も辞めてしまい…
「あの先生も…あの先生まで…」と
密かに切ない思いを重ねていました。

でも、武井先生はそんな時でも
ずっとウエジョビに勤め続け、
支えてきてくださいました。

文句も言わず、それまでと変わらぬ態度で…。
それがどれだけありがたかったことか…。

まさに、「同志」でした。

武井先生は情報処理科。
担任として卒業させた学生は155名。
授業を見てきた情報処理科の学生は1,155名。

いつも、ていねいにあたたかく、
学生たちの相談にも根気よく対応してくれていました。
学生たちみんなのお父さんのようでした。
卒業生たちもよく
武井先生を慕って学校に遊びに来てくれました。



いつも手作り無農薬のおいしいお野菜を
たくさん持ってきてくださいましたよね。







私たちだけでなく、
お野菜を、東京や群馬や…様々な場所の
ホームレス支援の施設に無料でお送りしていました。


武井先生の支援が、
信濃毎日新聞に大きく取り上げられたこともありました。


毎年毎年…
大根、ジャガイモ、玉ねぎ、白菜、キャベツetc…。
段ボールで何箱送っていたのか
私には想像もつきませんが、
本当にいろんな場所に大量に野菜を送り続けて
いらっしゃいました。

農作業に携わっているからか
自然のこと、天気のことにはめちゃくちゃ詳しくて、
私はいつも武井先生に天気予報を聞いていました。

武井先生は虹が大好きで、
虹が出ているのを見つけると
いそいそと6階(ウエジョビ最上階)に上がっては
眺めてみたり…
少年のようにはしゃいで
私たちに教えに来てくださったりしていました。

毎朝、本当に早くに学校に来ていました。
学校が空く7:30には、前で待っていることもありました。


出勤時間は9:00なのに、
朝起きて、農作業を一仕事終えて、
20キロ近くの道のりを運転してきて、
7:30には出勤って…。
どれだけスーパーマンなんですか。
武井先生は。

朝学校に来るといつも、校舎の鍵を開けたり、
教室や職員室を温めたり、
ポットのお湯を沸かしたり…
「誰の仕事でもないけど、誰かがやっている仕事」
を率先してやってくださっていました。

12月になるとウエジョビには
クリスマスツリーが飾られるのですが、
一番初めのツリーは20年以上前、
武井先生が自腹で買ってきてくださったものでした。


最初はもっと小さくて
飾りもわずかだったのですが、
年々飾りが増え、大きくなり、キラキラ電飾も数が増え、
今では3校舎すべてにツリーが飾られるようになりました。

毎年12月になると武井先生が
いそいそと倉庫からツリーグッズを出してきて、
学生たちと一緒になって
嬉しそうに飾り付けてくださっていたことを思い出します。


ツリーの下には、
お菓子が入った長靴をたくさん準備してくださって…。
近所の保育園の子どもたちも毎年楽しみにしていました…。


こちらは3号館のツリー。
この大きさで、3つの校舎全部にツリーがあるんですよ!


こうやって思い返すと
武井先生は本当に人が大好きで
…たくさんの人に
無償の愛をくださっていたんだなぁと感じます。

お通夜、告別式には
ものすごくたくさんの方が参列されていました。
23~4年前の卒業生の姿も見られました。
退職された先生方もたくさん来てくださいました。

「どうしてあんなにいい先生が…」
「武井先生には、就職の相談に乗ってもらったのに…」

みなさん、
武井先生がいなくなってしまったことの
悲しさや悔しさに涙しながら
お焼香をされていました。


…私は、武井先生が倒れられたと聞いて
すぐに病院に駆けつけ(面会謝絶だったのですが…)、
亡くなられたと連絡をいたただいてすぐに会いに行き、
お通夜、告別式と最後までいさせていただきました。

少しでも長く武井先生と一緒にいたくて…。

武井先生がこんなにも私たちのために尽くしてくださったのに
私は何ができたのだろうかと
そんな思いでいっぱいです。

私が武井先生の元に駆けつけると
いつもご親族の方がいらっしゃったのですが、
今回、ご親族の方の表情が
どんどん変わっていく様を目にしました。

はじめ、武井先生の学校での様子をお伝えすると
本当にびっくりされていました。

武井先生はとてもシャイで、学校のこと、仕事のこと、
何も話していなかったようなんですね。

いつもたくさんの野菜を持ってきてくれていたこと、
学生たちの相談にいつも乗ってくださっていたこと、
その他にもいろんな思い出をお伝えしたら
「えぇ~!!」という感じで驚かれていました。

私以外に駆けつけたウエジョビの職員や
卒業生たちも、
それぞれに武井先生との思い出を伝えていたので、
ご親族の方は、
そのたびにビックリされていたようです。

そして…たくさんの方の話を聞くにつれて
ご親族の方のお顔が
なんだか誇らし気に変わっていったように思えました。

もちろん、武井先生が帰らぬ人となってしまったことは
やりきれなくて切なくてたまらないに違いありません。

でも、今回のことがきっかけで
武井先生が本当に人のために生きてきたことや
みんなに愛されていたことを知ることができて
ご親族の方も「良かった」とおっしゃっていました。

それがせめてもの救いです。

私も、お通夜、告別式と参列しました。
告別式でも、武井先生の優しい笑顔の写真を見ながら
涙が止まらなかったのですが、


長い長いお経を聴いているうちに、
少しずつそれまでとは違った気持になってきました。

お経のリズムと声の調子に
だんだんと気持ちが落ち着いてきて…
心が静かになっていったのです。

その中で考えました。
武井先生が私たちにしてくださったこと。
武井先生が大切にしていたもの。
そして私たちがこれから何をしなければならないのか。

「お葬式は、残された人たちのためにある」
という言葉を耳にしたことがありますが、
その言葉の意味が、すこしわかった気がします…。

武井先生のご親族の方がおっしゃっていました。
自宅は学校関係のものばかりだったと…。

そこまで、学生のことを考えてくださっていたのですね…。
ありがたいことです…。

武井先生の
地道に、謙虚に、人知れず人のために尽くす心…
そして深い「愛」から
たくさんのことを学ばせていただきました。

私たちは、
武井先生が今までしてくださったことへの
感謝の気持ちを忘れません。

そして、武井先生が作ってくださった
「温かいウエジョビ」を大事にしていきます。

武井先生がここまで大切にしてきてくださった
ウエジョビを…
学生たちを…
大切にしていきます。

武井先生、
本当に本当にありがとうございました。
私たちは、武井先生のことを絶対に忘れません。
どうぞお安らかに…。
ありがとうございました。





↑ この写真が一番好きです。
武井先生と言えば、このスマイル、ダブルピースなんです。
「たけちゃんスマイル」はいつまでも私の心に残り続けます。