2020年07月26日
みなさまのおかげで幸せな人生でした その1
本日、信濃毎日新聞に全面広告を出しました。
佐藤先生、昌子先生が
きっと伝えたかったであろう言葉を
みなさんにお伝えしたくて…。
3回シリーズでお届けします。
みなさまのおかげで幸せな人生でした
ありがとうございました
学校法人上田佐藤学園 上田情報ビジネス専門学校
創始者 佐藤 勲 ・ 昌子
去る5月28日、
上田情報ビジネス専門学校の創始者 佐藤勲が
95歳の生涯を閉じ、
3日後の5月31日には
教頭としてともに歩み続けた妻の昌子が
86歳で旅立ちました。
ウエジョビは二人の人生そのものでした…。
●始まりは小さなそろばん教室でした
ウエジョビは、終戦直後の昭和24年、
佐藤勲が24歳の時に作ったそろばん塾
「上田速算会」がスタートです。
佐藤は大正14年に文房具屋の長男として生まれ、
小諸商業学校(現小諸商業高校)では
珠算部で活躍。
その腕を生かし郵便局に勤めましたが、
「日本の復興には人を育てることが大切だ」と、
そろばん教室を始めました。
パソコンも電卓もなかった当時、
そろばんは仕事に必須の技術だったのです。
佐藤の真摯で丁寧な指導の結果、
年間600人以上もの人が通う
人気のそろばん塾になりました。
その後、近隣企業からの要望により
簿記、タイプと次第にコースを増やし、
昭和39年には専門学校のスタートとなる
1年制の課程を新設。
以来、情報処理、建築、ビジネス、公務員、医療秘書と
時代の流れに応じて学びの幅を広げていきました。
●自分は苦労してでも節約してすべて学校に投資
佐藤は常に倹約を心掛け、
燃費がいいからとオートバイ(HONDAカブ90cc)で
長野県内100校以上の全高校を訪問し、
1日400km走る日でも
高速道路や有料道路は一切使わず日帰り。
「高速を使わなくても、
俺が早く家を出れば高校の始業時間に間に合う」と、
朝5時に出かけることもよくありました。
外食もせず、娯楽もせず、
自家用車も10数年前から軽自動車。
土日もお盆も正月もなく
毎朝6時から夜遅くまで働き続けて
貯めたお金はすべて学校に投資。
おかげで今では
6階建ての校舎が3棟、
パソコン400台、学生約280名、
うち60名は一人暮らしをしてでも
ウエジョビで学びたいと、
全県から学生が集まるようになりました。
●教育への情熱は語り草に
佐藤が73歳の頃、
オートバイ運転中に右折の対向車にはねられ、
大腿骨骨折で4か月間入院した時は、
退院すると同時に
「俺のバイクはどこだ!?」と、
家族を困らせました。
廃車だと聞いてさすがにバイクはあきらめたものの、
すぐに車で始めたのが高校訪問。
ギプスの足で松葉杖をつき、
両手に学校案内の入った紙袋を持って
進路指導室までの階段を上っていく光景は
衝撃的だったようで、
今でも高校の先生方から
「あの姿は忘れられない」と言われます。
佐藤は高校回りを
たった一人で80歳まで続けていましたが、
一度も「疲れた」と言いませんでした。
周りの人がねぎらうといつも
「俺が作った学校なんだから当たり前だ」と
返ってくるのです。
佐藤に言わせれば、
「俺が誰よりも早く学校に来て、
最後に鍵を閉めて帰るのは当たり前」
「いつ問い合わせが来てもいいように、
年末年始でもお盆でも
365日学校にいるのは当たり前」だったのです。
続きます。
佐藤先生、昌子先生が
きっと伝えたかったであろう言葉を
みなさんにお伝えしたくて…。
3回シリーズでお届けします。
みなさまのおかげで幸せな人生でした
ありがとうございました
学校法人上田佐藤学園 上田情報ビジネス専門学校
創始者 佐藤 勲 ・ 昌子
去る5月28日、
上田情報ビジネス専門学校の創始者 佐藤勲が
95歳の生涯を閉じ、
3日後の5月31日には
教頭としてともに歩み続けた妻の昌子が
86歳で旅立ちました。
ウエジョビは二人の人生そのものでした…。
●始まりは小さなそろばん教室でした
ウエジョビは、終戦直後の昭和24年、
佐藤勲が24歳の時に作ったそろばん塾
「上田速算会」がスタートです。
佐藤は大正14年に文房具屋の長男として生まれ、
小諸商業学校(現小諸商業高校)では
珠算部で活躍。
その腕を生かし郵便局に勤めましたが、
「日本の復興には人を育てることが大切だ」と、
そろばん教室を始めました。
パソコンも電卓もなかった当時、
そろばんは仕事に必須の技術だったのです。
佐藤の真摯で丁寧な指導の結果、
年間600人以上もの人が通う
人気のそろばん塾になりました。
その後、近隣企業からの要望により
簿記、タイプと次第にコースを増やし、
昭和39年には専門学校のスタートとなる
1年制の課程を新設。
以来、情報処理、建築、ビジネス、公務員、医療秘書と
時代の流れに応じて学びの幅を広げていきました。
●自分は苦労してでも節約してすべて学校に投資
佐藤は常に倹約を心掛け、
燃費がいいからとオートバイ(HONDAカブ90cc)で
長野県内100校以上の全高校を訪問し、
1日400km走る日でも
高速道路や有料道路は一切使わず日帰り。
「高速を使わなくても、
俺が早く家を出れば高校の始業時間に間に合う」と、
朝5時に出かけることもよくありました。
外食もせず、娯楽もせず、
自家用車も10数年前から軽自動車。
土日もお盆も正月もなく
毎朝6時から夜遅くまで働き続けて
貯めたお金はすべて学校に投資。
おかげで今では
6階建ての校舎が3棟、
パソコン400台、学生約280名、
うち60名は一人暮らしをしてでも
ウエジョビで学びたいと、
全県から学生が集まるようになりました。
●教育への情熱は語り草に
佐藤が73歳の頃、
オートバイ運転中に右折の対向車にはねられ、
大腿骨骨折で4か月間入院した時は、
退院すると同時に
「俺のバイクはどこだ!?」と、
家族を困らせました。
廃車だと聞いてさすがにバイクはあきらめたものの、
すぐに車で始めたのが高校訪問。
ギプスの足で松葉杖をつき、
両手に学校案内の入った紙袋を持って
進路指導室までの階段を上っていく光景は
衝撃的だったようで、
今でも高校の先生方から
「あの姿は忘れられない」と言われます。
佐藤は高校回りを
たった一人で80歳まで続けていましたが、
一度も「疲れた」と言いませんでした。
周りの人がねぎらうといつも
「俺が作った学校なんだから当たり前だ」と
返ってくるのです。
佐藤に言わせれば、
「俺が誰よりも早く学校に来て、
最後に鍵を閉めて帰るのは当たり前」
「いつ問い合わせが来てもいいように、
年末年始でもお盆でも
365日学校にいるのは当たり前」だったのです。
続きます。
Posted by 美恵先生 at 16:29│Comments(0)
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